サラリーマンを馬鹿にする者は、晩年になって深く後悔する。それは筆者「無禄」が66年の人生を振り返って実感する真実。仕事と金に追われる人生がイヤなら、むしろサラリーマン、いや「社畜」、を選ぶべきなんだ。
話の前提として、全人口の1%以下の、ほんのひと握りの天才・秀才・異才は除外する。この話はごく普通の人間として生まれて、普通の環境に育ち、生きていく人間の話だ。
だから、イーロンマスクだとか堀江貴文だとか大谷翔平の意見や人生訓を参考にはしない。
そちらを参考にしたければ、今このブログから出て本を買うなりすれば良い。
この記事の結論は、
社畜として生きることに何ら間違いはない。むしろ安全で安定した人生を望むなら、「社畜」ほどシンプルで有意義な働き方は他に例が無い。だから、サラリーマンをばかにせず、見習っておけば良いのだ。
長い人生から社畜を振り返る
筆者「無禄」は、大学を出てすぐに上場企業に入職したが、ほぼ20年勤めた末に、職場に絶望して退職した。これは一般に「自己都合退職」と呼ばれていて、退職金も大幅にカットされる辞め方だ。
無論企業側は不満である。払ってきた給与は一種の投資だし、給与以外にも膨大な費用がかかっている。
筆者は、退職後に海外で零細企業を「起業」して、日本から現地に入ってくる日系企業の下請けサービスを営んだ。しかし、20年も企業に勤めた人間にとって、この「脱サラ」経験は極めて危険な冒険だった。
4年も経たないうちに、自分が興した会社は赤字経営に転落し、数人の社員も徐々に離れて生き、最後は数百万円の借金を残して仕事が無くなった。
筆者本人の毎日と言えば、慣れない経理作業と毎年の税務などで、日々の労力の半分は持って行かれ、本来自分が営もうとした本業に力を出せるのは、サラリーマン時代に発揮できた時間の半分以下だった。
海外の自営業を初めて、驚くことは、信頼できる人間が極めて少ないという事実だった。企業に居た自分としては、商談の相手はまずは信用するのが常であったが、海外で自営業を営む場合は、まず相手を100%疑ってかかった上で、うまく利益を出すように立ち回る訓練が必要だった。
訓練を受けていない筆者は、瞬く間に、所持金を失い、借金だけが増えていったのである。
退職から5年目に、47歳ごろの筆者は、自暴自棄に近い状態だった。
借金を解消するため、仕方なく現地の中堅企業に就職した。この企業は、中国の福建省からアジアに移住してきた客家の出身で、ビジネスの天才と言える華人社長が一代で築いた商社であり、取り巻く有象無象を苦もなくあしらって確実に利益を挙げていた。
筆者が雇われた時点では、既に個人資産は4百万ドル、彼の事業規模は年商2千万ドル規模で、毎年のように事業を増大していた。社長は自分より年下で、はつらつとした若手事業家だったが、周到で思慮深く、絶対に相手を信用しないタイプだった。
筆者と華人社長は、うまく連携できていた。社長の事業は拡大した。客先はほぼ100%日系企業であり、筆者を雇った社長の戦略は大成功であった。
この時、筆者は、自分が会社のリーダーになるよりも、リーダーの才気を助けるサポート役として働くタイプの人間であることに気づいていた。
2年もすると、華人の会社は日本の横浜市内に支店を持つまでに成長。筆者は支店長になり、横浜に駐在して事業支援を続けた。
筆者の数百万円の借金は全て解消していた。
華人社長と筆者は、互いに補完関係にあり、相手の不得手な部分をこちらがカバーするように効率的な仕事になっていた。当然ながら企業は儲けを出し、筆者は年末には賞与を受けるまでになった。
この時点で、振り返れば、筆者は大企業を退職して、自営業に失敗し、やがて、海外で成功している中小企業の経営者の片腕として、雇われて生活を安定するだけの報酬を得ていたのである。
ここで言えることは、「社畜」から脱サラした筆者が、やがて、海外の中小企業の「社畜」に戻ったということであり。そうすることで、ようやく生計を建てという顛末なのだ。
大金を持つ人間の末路
海外で客家系華人の右腕となった筆者は、やがて社長の信頼を得て、社長から新たな相談を受けることになる。
会社の資産も含めて半分を渡すから、会社の経営を継承してくれというのである。
つまり、数億円の個人資産を譲渡するから、会社を引き継いでくれという話。
この時、筆者は、こういった話になることを既に予測はしていて、社長の口からこの誘いが出ていた時点で「辞退」することを心に決めていた。
筆者は、当時48歳である。もう若くはないし、資産を持てるなら持った上で人生を見直すべき時期にあった。
しかし、この頃毎日のように目の当たりにしていたのは、ほぼ身内と言っても良いほど懇意になった華人社長の日常である。
つまり、毎日が「社外の敵」との熾烈な戦い、数件の訴訟(金がらみの裁判)、ひっきりなしに親類縁者からせがまれる金、金。
本人は、稀代の商人であり、才気に溢れていたが、金に関する他人との歪みあい、訴訟問題、親類からの支援要求、自国の政府からの執拗な取り立てなどで、頭を悩ませている。
事業の成功と引き換えに彼の家庭生活は犠牲となった。彼には3人の子供がいたが、彼自身は子供を育てる時間はなく、全ては養母と家政婦に任せていた。社長は金を出しただけだった。
筆者は、2億円以上の現金を積まれても、この事業を引き継いで、華人社長と同じ人生を歩むつもりは無かった。子供は現地の大学への進学を目指していたが、筆者には大事な家族があった。
日本の住宅ローンが残っていたが、何とか返済ができていた。それ以外に、社外の敵がいるわけもなく、親類からは、海外に移住した変人扱いされているだけで、金をせびられるリスクは皆無だった。
社畜という適職
長い話を割愛するが、
筆者は49歳の年に、華人社長に辞表を出して日本の企業に再就職している。
就職先の日本企業は大手であり、世界に数千人規模の事業展開をしており、当時は開業依頼の大繁盛となり、海外経験のある人材を血眼で探していたのだ。
筆者は、その企業に文字通り社畜として再就職したのだが、入社して数年は、この再就職について有り余る幸運を手にしたと確信していた。つまり
- これ以降、会社経理や税務のために時間を取られることはない
- 個人の所得税についても会社が全部面倒をみてくれる
- 悪事を働かない限り、毎月「定額」の給与が支給される
- 会社の更生施設が格安で利用できる
- いつでも有給で休みを取れる。休みの間仕事を忘れられる
- 商談や会議などで公然と相手を騙すような人間は皆無である
- 何よりも、日本という法治国家にしっかり守られている
つまり、上記を180度反転した世界が、海外の中小企業や自営業の世界だったのだ。
「社畜」というのは、上のような、普通の地球人が享受できない厚遇を理解しない、人生経験の足りない人間が「流行り」で口にする言葉に他ならない。
そのことを、20代〜30代の若手に言って聞かせることは困難だろう。海で泳いだ経験のないものに、海の怖さを説明するようなものだ。
筆者は、企業に復職して4年から5年で、執行役員になっている。執行役は役員だから、もはや企業の「社畜」ではない。日々の仕事は、しかし、世間がおもしろおかしく言う「社畜」そのものだ。
役員であれば、従業員以上に会社のルールを守り、他の従業員の手本になるような生活習慣を旨とするようになる。発言する内容は極端に気を遣う。約束時間に遅れることは無い。人の前に立つ時は常に笑顔だ。全ては役員報酬の対象でもある。
そして、ひとりの社会人が会社役員として活躍する時間は限られている。誰でも63歳ぐらいには役員から外れる。取締役クラスに登る人間は、よほどの経営マニア、あるいは、天性の経営者だけだ。
企業が道を外れたり、業績が悪化すれば、死んでも償えない債務を負うことになる。取締役は、もはや「社畜」待遇ではないのだ。
筆者は、執行役員を退役してほっとしている。執行役員までなら、企業が設定したプログラムを遂行する大きな歯車であり続けられる。その上に行くのは、よほどの覚悟が必要なのだ。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
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