案内士の道:ケンペルの日本誌(3)

千夜一夜

オランダ東インド会社の日本拠点であった出島に赴任したドイツ人医師、エンゲルベルト・ケンペルが見聞した江戸時代・元禄期の日本を詳しく紹介するシリーズ。今回はAIのChatGPTをフル活用し、悪戦苦闘しながら読み解いた江戸時代の「馬具」について、ケンペルの見聞録を紹介する。

出典は前回の投稿記事に記載した通り

この投稿で引用する『日本誌』の記述は、ケンペルが40歳代前半に日本で見聞・記録した内容をもとにし、のちにショイヒツァーが20歳代前半に英訳したものである。その文章には、当時のヨーロッパ人による日本理解の限界や、英訳の過程で生じたと考えられる誤認・誤訳もある程度含まれている。しかし、その文章量と情報量は膨大であり、一つひとつを慎重に解釈すれば、日本史を検証するうえで資料価値は非常に高いと言える。筆者は、ケンペルの記述ならびにショイヒツァーの英訳文に見られる、国、天皇、宮廷、将軍、江戸城などをめぐる語彙の不足や混乱を考慮し、(1)英文中の名詞・固有名詞は原則としてそのまま残し、(2)必要に応じて、その直後に括弧書きで日本語による解釈を付記する、という方法で訳出した。翻訳・解釈の作業には全般的に生成AIを利用し、そのうえで、言い回しが適切でない部分や文脈上修正が必要と判断した部分については筆者が添削した。このため、通常の日本語訳に比べると多少読みづらい箇所があることを、あらかじめご了承いただきたい。

馬と荷物(1691年)

ケンペルの『日本誌』より:

旅(江戸参内)に必要な準備のもう一つの重要な仕事は、我々自身と荷物(baggage)のための馬と人足(porter)を手配することである。これは我々の金銭を管理する主任通訳(chief Interpreter)の仕事であり、主任通訳はまた、旅の全行程を通じて必要となるものがすべて用意されるよう取り計らう役目を負っている。さらに、参内一行の最高責任者である奉行(Bugyo)が出発しようとするその時には、直ちに出立できるよう、すべての準備を整えておくよう指示するのも主任通訳である。

長崎を出発する2日前になると、各人は自分の小荷物袋(cloak bag)と旅行鞄(portmantle)を担当者に渡さなければならない。それらは、必要となればすぐに馬に取り付け、またすぐに取り外すことができるよう、あらかじめひとまとめにして結わえられる。

これは我々ヨーロッパ人のやり方とは異なる、日本独特の方法であり、ここに記しておく価値がある。

スウェーデンの郵便馬に用いられる荷鞍(packsaddle)によく似た簡素な木製の鞍(saddle)を馬の背に載せ、胸繋(poitral, breast leather)と尻繋(crupper)を使って固定する。

以下の挿絵はケンペルが引用した「スウェーデンの郵便馬に用いられる荷鞍(packsaddle)」を生成AIを使って作画したもの。

ここから先の文章は1691年頃(江戸時代)、前述のオランダ東インド会社の商館長が江戸幕府に参内した当時の馬の準備の様子である。

鞍の上には2本の革ひも(latchet)を渡し、その両端を馬の左右に垂らす。この革ひもを使って、2個の旅行鞄(portmantle)を馬の左右に一つずつ取り付け、両側の重さが適切に釣り合う位置に調整する。

この2個の旅行鞄は、いったん互いに結び合わせると、そのまま馬の背に載せられるだけで、鞍や馬に別の革ひもなどを使ってさらに固定するわけではない。

そこで、これらをある程度安定させるため、日本人が Adofski と呼んでいる縦に長い箱形の行李を、左右の旅行鞄にまたがるように馬の背の上へ載せ、革ひも(thongs)で鞍にしっかりと固定する。

こうして左右の旅行鞄の間にできる中央の窪みに柔らかな物を詰めると、そこが旅人の座席となる。旅人は、いわば平らな台の上に座るような格好になるが、それでも乗り心地はかなりよい。座り方は本人の好み次第で、あぐらをかいて座ることもできれば、脚を前方、すなわち馬の首の方向へ垂らして座ることもできる。

とりわけ注意しなければならないのは、鞍の真ん中に正しく座り、左右どちらかに寄りかかりすぎないことである。そうしないと、馬が倒れたり、あるいは両側の荷箱と乗り手が転落したりすることになる。坂を上り下りするときには、このような事故を防ぐため、徒歩の従者や馬丁が左右の荷箱を水平に保つよう支える。

訳注:Portmantle は portmanteau の古い綴りで、衣服や身の回り品を収納して旅行に用いた大型の旅行鞄を指す。この文章では2個を馬の左右に振り分けて載せているため、「鞍袋」と訳すこともできるが、現代的な saddlebag と完全に同一視するより、「旅行鞄」あるいは「旅行用行李」とする方が原文に忠実である。

ここまでの情報で生成AIが再現したケンペルの旅姿は次の通り

ケンペルの観察眼

ここまで細かく見て書き残しているのはケンペルだけではないだろうか?

旅人が馬に乗るとき、また馬から降りるときには、われわれヨーロッパ人のように馬の横からではなく、馬の胸の側から乗る。これは脚の硬い者(訳註:足に柔軟性のないタイプの人間)にとっては、たいそう厄介なことである。

馬から鞍と荷物を外すのは、ほんの一瞬で済む。まず最初に寝具を取り除き、それから一本か二本の締め紐をほどくだけでよい。彼らはこの作業に非常に熟練しているので、この方法で荷物全体を一度に下へ落としていた。

こうしたさまざまな用途に使われる締め紐、革紐、腹帯などは、幅が広く丈夫で、木綿で作られ、しかも非常に丁寧に仕上げられている。その両端には、小さく細長い円筒形の木片が付けられており、締め紐を強く引き締めたり、物をしっかりと縛り付けたりするのに大いに役立つ。

鞍(saddle)は木製で、非常に簡素なものである。その下にはクッションが敷かれ、後方には馬の背にかかる馬衣(caparison)があり、その上には旅人の印、あるいは紋章が縫い付けられている。

さらに粗い布が一枚ずつ左右に垂れ下がっており、泥が跳ねて馬体を汚すのを防ぐ覆いの役目をする。この二枚の布は、馬の腹の下でゆるく結び合わされている。

馬の頭部には、細いが丈夫な紐で作られた網がかぶせられている。これはハエから馬を守るためのもので、とりわけ目を保護するためである。ハエは馬にとって非常に厄介だからである。首、胸、そのほかの部分には、小さな鈴がいくつも吊り下げられている。

左右の荷箱、すなわち portmantles には、軽い物だけが入れられ、ときには中身が藁だけの場合もある。これらは硬い馬革で作った一種の四角い箱で、長さがおよそ五span、幅三span、深さ三spanほどである。蓋(ふた)も同じく革で作られているが、箱本体よりやや大きく、下端まで覆うほど深く作られている。これだけでも雨はかなりよく防げるが、さらに安全を期すため、箱全体をむしろで包み、その上から丈夫な縄で縛ってある。

このような構造であり、荷造りするにも多少時間がかかるため、旅の終点に着くまではめったに開けない。そのため、道中で特によく使う物は Adofski に入れておく。

Adofskiの詳細

Adofski は、長さ約6span、幅1span、深さ1spanほどの、小さく薄い箱、あるいはケースである。その内部には、ほぼ同じ長さ、幅、深さの引き出しが一つだけ収められている。

側面には小さな扉、あるいは開口部があり、そこには錠を掛けることができる。この開口部から、Adofskiを縛っている紐をほどくことなく、収納品を容易に出し入れできる。旅の途中で日々必要となる物は、この箱に入れておかねばならない。

Adofskiには、左右二つの portmantles(荷箱) を固定する役目もある。これがなければ、それだけの目的で一本の棒が必要となる。Adofskiは厚く丈夫な灰色の紙で作られている。また、長旅の途中で起こり得るあらゆる事故からさらに保護するため、その周囲には青い紐が網状に、しかも非常に丁寧に結び付けられている。

訳註:上記の寸法をそのまま換算すると、長さ約137 cm、幅約23 cm、深さ約23 cm である。かなり細長い箱だったことが分かる。

旅人の装備を完全なものにするには、さらにいくつかの品物が必要であり、それらは通常、portmantlesに結び付けられている。たとえば次のようなものである。

銭(Senni)あるいは Puties を通した紐

これは中央に穴の開いた真鍮製の貨幣であり、旅の途中で必要な物を買うには、銀貨よりもこちらの方が便利である。銀貨はそのつど重さを量らなければならないからである。馬で旅をする者は、この銭を通した紐を、自分の後ろにある座席の帯の一つに結び付ける。徒歩で旅をする者は、それを背中の籠に入れて運ぶ。

お詫び:この投稿を準備した時点では、上記の小銭の束にある “Puties” の何たるかは判明しませんでした。AIもグーグル検索も明示的な情報を返してきません。後日「日本誌」の中で説明が出てくることを期待しつつ先に進みます。

ニスを塗った折り畳み式の紙製の提灯(ちょうちん、lanthorn)

その中央には所有者の紋章が描かれている。夜間の旅では、従者がこれを肩に担いで旅人の前を歩く。使わないときにはportmantleの一つの後ろに結び付け、網、あるいは袋に入れておく。その網や袋にも、やはり所有者の紋章、あるいは印が付けられている。実際、身分や階級を問わず、旅人が旅に持参する衣服その他あらゆる携行品には、一般に同じようにその所有者の紋章や印が付けられている。

馬の毛、あるいは黒い雄鶏の羽で作った刷毛

これは座席や衣服の埃を払うためのものである。座席の後ろの片側に付けられているが、実用品というよりは、むしろ見栄えのためのものである。

水桶

これは刷毛とは反対側の座席脇に付けるか、あるいは適当な場所に取り付けられる。

足元

馬および徒歩の従者のための履物や草鞋(わらじ)(Shoes or slippers)

これらは藁を撚って作られ、やはり藁で作った紐が垂れ下がっている。その紐を使って馬の足に結び付ける。この国では、われわれヨーロッパ人が使う鉄製の蹄鉄は用いられておらず、この藁製の履物がその代わりとなっている。

石の多い滑りやすい道では、これらはすぐに擦り切れてしまうので、頻繁に新しいものへ取り替えなければならない。このため馬の世話をする者たちは、常に十分な数の予備をportmantlesに結び付けて携行している。もっとも、こうした物はどの村でも手に入るうえ、道端で物乞いをしている貧しい子供たちまでが、旅人に売ろうと差し出してくるほどである。

この国には、おそらくほかのどの国よりも多くの farriers(装蹄師)がいる、と言ってもよいだろう。(訳註:専門の装蹄師は必要なく、どこにでもいる草鞋をうる村人や同行している従者が馬の足のせわをしていると言う意味)

実際のところ、この国には装蹄師は一人もいないのである。

訳註:馬の蹄(ひづめ)を保護するために履かせていた「馬沓(うまぐつ)」と呼ばれる履物、つまり馬の草鞋(わらじ)。西洋から蹄鉄(ていてつ)が導入されたのは明治時代初期である。

馬具のまとめ

ここまで検討してきた詳細な情報をすべて生成AIに与え、ケンペルが記録した旅馬の荷姿を描かせた。その結果が次のイラストである。ただし、ここには生成AIによる史料解釈と図像化の限界も見られる。

特に Adofski については、馬上にどの向きで取り付けられていたのか、すなわち馬の進行方向に対して縦向きなのか横向きなのかを、生成AIは確定できないまま作図している。また、旅行鞄(portmanteau)についても、四つの荷箱を吊り下げた図と、左右に一つずつ配置した図が混在している。

最終的な詳細図では、乗馬している人物のほか、荷物全体を覆っていた敷物や寝具類なども割愛されている。それでも、ケンペルが文章として書き残した当時の旅馬の荷姿を視覚的に理解するための復元図としては、その特徴を十分に表している。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

次回は、江戸参内の全体工程の紹介に進みます。

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