天界とかけて何と解く?
魂(たましい)の休憩所と解く。そのこころは ―― 人の生涯はすべて「お疲れ様」である。
「生涯」という言葉の響きは、「障害」と同じ。これは偶然ではない。
人は地上に生まれ、育ち、働き、やがて死に至るまで、苦しみと悲しみを抱えながら歩む存在だ。その狭間にわずかな喜びが訪れるが、至福の瞬間は儚く、またすぐに試練へと戻っていく。
そもそも地上での生涯は修行であり、骨休めも一息つく余裕もない。肉体が滅び、魂が天界へ帰還して、初めて本当の休息を得ることができる。
それまでは誰もが「お疲れ様」なのだ。
「お疲れ様」の由来
地上が修行の場であり、安息の楽園ではないからこそ、人は皆「お疲れ」なのである。
「修行」と聞こえはよいが、言い換えれば「監獄生活」とも言える。
かつて別の世界で過ちを犯した魂たちは、この星に降りて贖罪を果たしている。それでも、罪を償おうとする意志がある魂は、尊敬に値する。だからこそ、私たちは互いに「お疲れ様」と声をかけ合い、魂そのものに敬意を示すのだ。

語尾の「様(さま)」には、神様への尊敬と同じ響きが込められている。
人は修行と贖罪を経て、わずかな天界での休息を得る。そしてまた地上へ戻り、嘆きと悲しみの生涯を繰り返す。
この地に生まれた瞬間から、すべての魂は「お疲れ様」の存在なのだ。
誰もが、あの人もこの人も、等しく「お疲れ様」である。
長い修行を乗り越えた魂は、やがて「神様」となり、あらゆる喜怒哀楽と森羅万象を知り尽くす。
それは、かつて「お疲れ様」であった者だけが辿り着ける境地である。
日本の言霊
外国語に「お疲れ様」に相当する言葉は存在しない。
「よくやった」「素晴らしい」などの称賛の言葉や、「休みなさい」といった労りの表現はあるが、日本語の「お疲れ様」が持つ深い魂のねぎらいには及ばない。
「お疲れ様」は日本特有の言霊である。

それは、地上で過去の罪を洗い流し、本来の自浄活動に励む魂への深い敬意と労いの言葉なのだ。
日本人が無意識に「お疲れ様」と掛け合うとき、魂の奥底では、互いの修行が一日でも早く終わり、成仏し、神へと至ることを願っているのである。
これこそが、言霊(ことだま)の力である。
最後までお読みくださったあなた様にも、心から「お疲れ様」です。

今回の画像はO-DANのフリー素材サイトから修行と囚人のイメージ素材を採用しました。アイキャッチ画像の作者のクレジットはこちら。

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