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2025年の9月から11月にかけて、私は暗記に没頭しました。推古天皇以前を除く歴代天皇、1885年以降の歴代総理大臣、平安の藤原氏、鎌倉の源氏から北条氏、室町の足利将軍家、さらには700年以降の主な編纂物……。完璧とまではいかないまでも、歴史を動かしてきた権力者たちの時系列を、ようやく頭に叩き込むことができました。
しかし、暗記というものは所詮、一時的な記録に過ぎません。悲しいかな、時間は残酷に記憶を削り取っていきます。
だからこそ、私は通勤途上の電車内などで、覚えた時系列を念仏のように繰り返し反復してきました。これはもはや「勉強」というより、身体に覚え込ませる反復運動、あるいは記憶の「筋力トレーニング」に近い感覚です。
一連の事柄を反芻していると、どうしても部分的に思い出せない箇所が出てきます。そんな時、すぐに答えを見に行ってはいけません。以前、本か動画で学んだことですが、辛抱強く「思い出す努力」をすることが記憶の定着には不可欠なのです。3分ほど粘ってみると、50%程度の確率で「あ、そうだ!」と閃く瞬間が訪れます。この時、脳内のシナプスが強力に繋がり、その記憶はまるで骨折が完治した後の骨のように、以前よりも強固に定着するのです。
「失念」はチャンス
記憶する内容が増えるにつれ、各項目の反復練習にはどうしても数週間のインターバルが空いてしまいます。その間、別の事柄を暗記しているわけですから仕方のないことですが、一ヶ月もブランクが空くと、かつて完璧だったはずの記憶は、無残にもボロボロの古着のように朽ち果ててしまいます。
しかしここで、高齢者としての「年の功」を発揮すべき時が来ます。私は、記憶が抜け落ちてしまうという事実を、逆手に取ることにしました。これこそが、今回ご紹介したい「暗記の極意」なのです。
若い頃のような瞬発的な記憶力は、確かに衰えているかもしれません。しかし、膨大な知識を詰め込む「詰め込み(クラミング)」が無理だとネガティブに捉えてしまえば、そこですべてが止まってしまいます。私は発想を変えました。
記憶に「欠け」が見つかった瞬間。それがもし国家試験の本番であれば、結果は不合格です。しかし、今はまだ試験当日ではありません。本番ではない「今この時」に不完全な部分が見つかったことは、むしろ大変な幸運なのです。
物忘れがひどいことを憂うのではなく、忘れているという事実を「補強の好機」として捉える。そして、その不完全な部分を徹底的に修復する。これこそが、我々のような受験生が持つべき正しいマインドセットだと確信しています。
記憶の補修作業
例えば2026年1月、私は歴代天皇の1200年代(鎌倉時代中期)の部分、すなわち順徳、仲恭、後堀河、四条と続くあたりがどうしても出てこなくなりました。粘り強く思い出す努力をしましたが、脳内のシナプスは沈黙したままでした。
しかし、私は悔やみませんでした。すぐに順徳天皇から四条天皇までの史実をじっくりと読み込み、それぞれの天皇の特徴、事件、鎌倉幕府との関連性などを改めて深く印象づけました。それまでは単なる「名前」として覚えていたものに、血肉を通わせる作業です。「もう二度と忘れないためのチャンスをもらった」と考えれば、高齢であることも障害ではなくなります。
歴代総理大臣でも同様でした。記憶が薄れていた1920年代中盤、清浦奎吾、加藤高明、若槻禮次郎といった流れを改めてWikipediaなどで深掘りし、当時の国政の動きとともに記憶を補強しました。
こうした補修作業は、通勤電車の中などで行うのが最も効果的です。自宅の机に向かう時間は、新しい知識の積み上げや、白地図への書き込み、そして過去問演習のために取っておくのが私流のやり方です。
この手法の効果は抜群です。不完全だった記憶が一段と強固になり、知識の密度が増していくのが分かります。この戦略が成立するための条件はただ一つ、「受験までに十分な時間があること」です。

幸い、今の私はビジネスの第一線を退いた身。時間はあります。このことは現役の受験生や多忙な社会人にはない、高齢者だけの最大の武器です。受験の一年前から知識の積み上げを始めれば、時間は味方になってくれるのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
次回は、高齢者である私にとっての「向学心の羅針盤」についてご紹介します。


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