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2026年の春には68歳を数える私が、全国通訳案内士の受験を志し、日々新たな知識の積み上げに突き進むには、それなりに強いモチベーションが必要です。
その私は、すでにビジネスの第一線を引き、仕事も趣味の延長のようなもの。子供たちも独立し、余生を過ごすための蓄えも一応はある。つまり、生活のために新しい資格を取り、必死になって「あくせく勉強」しなければならない切実な理由はないのです。
そんな境遇にありながら、いかにして向学心を保ち、受験準備を継続しているのか?
本連載の冒頭でも触れた通り、私は還暦を過ぎて「自分がいかに日本を知らないか」という事実に愕然とし、打ちひしがれました。その衝撃こそが日々の学びの基盤にはなっています。しかし、冷静に先の人生を考えれば、あと30年も現役で活動し続けるわけではありません。日本を知る手段なら、何も試験を受けずとも、気楽な読書などいくらでもあるはずです。
広範囲な試験内容が火をつける
全国通訳案内士の試験科目(日本史、日本地理、観光案内実務、一般常識)には、理数系の科目はありません。しかし、求められる知見は極めて広範囲です。安易な気持ちで臨んでも、到底「合格レベル」には到達できない難関です。
しかし、その「難しさ」こそが、私の向学心を燃やすきっかけとなりました。
実は5年ほど前、米国の教育機関が運営するブロックチェーン技術のエキスパート資格を取得したことがあります。オンライン研修を経て無事に資格は得たものの、振り返ってみると、その知見の範囲はあまりに狭いものでした。また、技術自体が日本の社会に十分浸透しなかったこともあり、取得した資格の価値も次第に薄れてしまいました。
対して、観光庁が管轄する通訳案内士は、日本の歴史・文化・地理に関する深い造詣と高い語学力を有し、ガイド業務を通じて国際親善の一翼を担う、唯一無二の難関国家資格です。学ぶべき内容は多種多様で、以前の資格とは比較にならないほど膨大です。だからこそ、この資格なら「人生の締めくくりを前に合格した」という事実に、大きな意味と自負を感じられる。そう確信できたのです。
倦怠感を打破する「心の羅針盤」
とはいえ、志がどれほど高くとも、実際に高校レベルの日本史Bなどから学び直してみると、その分量に圧倒されます。時には「これを延々と続けるのか……」という倦怠感や疲労感に襲われることもあります。もともと「熱しやすく冷めやすい」性格の私です。到達点が果てしなく遠く感じられ、「もういいか」と投げ出したくなる日や、「今日は地理のことなど考えたくもない」と背を向けたくなる日も、正直に申し上げて、無いわけではありません。
そんな時に威力を発揮する脳内活性法があります。それが「向学意欲の羅針盤」です。
羅針盤といっても、船舶に装備されているような物理的な道具ではありません。これは自分の内面にある「心の羅針盤」とも言うべき、目に見えない方向指示器です。そしてこの羅針盤は、理屈や理論で動くものではありません。強いて言うならば、非常にスピリチュアルな性質を持ったものだと言えるでしょう。
羅針盤が指し示す「学びの方向」
今から30年以上前、実用英語技能検定(英検)1級の受験準備をしていた頃のことです。当時、会社員だった私が合格するためには、5年分の過去問を完璧に習得し、膨大な語彙や読解、発音の知識を身につける必要がありました。それは大学レベルを超えた、極めて高い壁でした。その際、初めて活用したのが、この「内面の羅針盤」だったのです。
人間というものは、心から興味を持っている事柄を複数抱えており、その関心は常に脳裏で入れ替わっています。よほど精神を鍛錬した人でもない限り、長い間、寸分違わず同じ対象に興味を持ち続けることは難しいものです。世の偉人たちはそれができたのでしょうが、私はそうではありません。
ある時は語彙力を上げたいと思い、ある時は発音記号、またある時は文法や長文読解へと興味が移ります。それにはっきりした理由はなく、ふとした瞬間に浮かんでくるものです。
通勤途中、あるいは食事中や散歩中、あるいはぼーっとしている時に、「今日は発音記号を学び直したい」「1級レベルの新単語を覚えたい」「今日は過去問だ」「いや、今日は洋書を読もう」という、異なる「向き」の欲求が頭に浮かぶのです。これが「内心の羅針盤」の正体です。
その時、私はあらかじめ決めていた予定を曲げてでも、羅針盤が指し示す方向に従って学習を進めるようにしています。そうすると、他人が決めたカリキュラムに沿って作業するよりも、遥かに効率よく知識が吸収されていくのです。
実際、私はこの方法で、受験の苦しみを感じることなく英検1級に合格しました。この方法があったからこそ、合格レベルまで英語力を引き上げることができたと確信しています。
「行き当たりばったり」が生む調和
読者の皆さんは、そんな「向学心の羅針盤」に従うなど、単なる行き当たりばったりで非効率だと思われるかもしれません。学習に偏りが出ることを懸念されるのも当然でしょう。
しかし、私の体験から言わせていただければ、この「心の羅針盤」は、単なる頭脳の気まぐれではありません。スピリチュアルな表現を借りるなら、「ハイヤーセルフ(高次の自己)」のレベルから降りてくる学習指針のようなものです。それに従っていると、不思議と全体的なバランスが取れ、網羅的に知識が定着していくのです。

卑近な例を挙げれば、日本史の「承久の乱」について記憶が曖昧で、心に不安を抱えていたとしましょう。するとある日突然、この「承久の乱」に対して羅針盤が反応し、無性に深掘りして「知りたい」という意志が湧き上がってくるのです。同じような意味で、「今週は日本の著名な僧侶と仏教の宗派の関係を整理したい」というような、まとまった内容に惹きつけられる場合もあります。
この無意識の羅針盤に従うことで、私は日本史や地理の膨大な学習において、スランプや倦怠期に苦しむことなく、今日まで取り組むことができています。
これはあくまで私個人の経験であり、万人に効果があるとは断言できません。しかし、もし学習に行き詰まりを感じている方がいれば、一つの参考としていただければ幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
次回は、高齢者である私にとっての「向学心の羅針盤」が導く、その先の景色についてご紹介します。


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